北欧には、サーミ人と呼ばれる先住民族がいる。サーミ語を話す彼らは、ラップランド地方(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部)とロシア北部の一部に住み、トナカイの放牧で生計を立てている。そんなサーミ人が主人公となる「サーミの血」を見ました。
この映画の舞台となるのは、1930年代のスウェーデン。サーミ人に対する差別がまだまだ根強く残っている時代を生きる一人の少女の物語です。
1930年代のスウェーデンで、これほど強い差別をサーミ人が受けていたのは、正直知りませんでした。差別というか迫害に近かったと感じました。しかし、主人公は、多くの差別を受けるが、それらを乗り越え、非常にたくましく自身の道を進んでいくのが印象的で、心を奪われました。
劇中には、たくさんのサーミの文化が登場します。
彼らが育った遊牧地帯の風景、服装、言葉、歌など、それぞれが美しく、心に残る作品です。
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【目次】
作品紹介
「サーミの血」(原題:Sameblod)
制作:2016年
時間:108分
音声:スウェーデン語、南サーミ語
字幕:日本語
あらすじ
知らざれる北欧少数民族の迫害の歴史、少女が願う自由/映画『サーミの血』予告編
1930年代のスウェーデン北部。ラップランド地方で暮らすサーミ人は、トナカイの放牧をして生活をしている。スウェーデン人からのサーミ人への差別が強く残る1930年代。サーミ人のエレ・マリャも差別を受けながら暮らす少女の一人。サーミ語が禁止されている寄宿舎で勉強しているエレ・マリャ。彼女は、成績優秀で、進学を望むも、「サーミ人は文明に適応できない」と教師から言われ、進学の道は絶望的。自由に生きたいと望むようになるエレ・マリャは、スウェーデン人のふりをして、寄宿舎を抜け出す。夏のお祭りで出会った青年に恋をしたエレ・マリャは、彼を頼って、列車に飛び乗り、町をあとにする…。
登場人物とキャスト
登場人物とキャストを紹介します!
エレ・マリャ役:レーネ=セシリア・スパルロク(Lene Cecilia Sparrok)
サーミ人少女。サーミ語禁止の寄宿舎に通う。成績優秀で、スウェーデン語が達者。お祭りで出会った青年に恋をして自由な生活に憧れる。
ニェンナ役:ミーア=エリーカ・スパルロク(Mia Erika Sparrok)
エレ・マリャの妹。姉と一緒に寄宿舎へ通うが、行きたくないと駄々をこねる。サーミ語が禁止されている寄宿舎で、サーミ語を話したり、サーミの歌(ヨイク)を歌う。
感想
サーミにツールを持つ監督とサーミ人キャストが送る物語
この映画が感心する点は、キャスティングにあると思う。
エレ・マリャやニェンナをはじめとするサーミ側の主キャストが、実際にサーミ人であるのだ。キャストのレーネ=セシリア・スパルロクやミーア=エリーカ・スパルロクは、実際に、サーミ人としてトナカイの遊牧をして暮らしている。しかも、彼女たちは南サーミ語のネイティブである。名前を聞いて、おやっと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、彼女たちは、実際の姉妹。この映画で姉妹共演する。
この映画が伝えようとするものが、嘘偽りなく、すっと心に響くのは、実際にサーミのアイデンティティーを強く持つキャストたちの演技によるところも多いと感じる。このような細かい配慮がなされたものサーミのアイデンティティーを持つアマンダ・シェーネル監督の存在によるところが大きい。彼女の母親はスウェーデン人で、父親がサーミ人。サーミのアイデンティティーを持つ監督が手掛ける作品だからこそ、描くことができたテーマがたくさん含まれた作品だったと見終わった後、実感した。
スウェーデンにあるサーミ人に対する強い差別
多くの日本人が抱く北欧やスウェーデンに対する現代のイメージからすると、スウェーデンが、かつて先住民族をここまで激しく差別していたということが想像つきにくいかもしれない。私自身、サーミ人に対する事前知識とそういったイメージがあまりなかったので、映画の一部描写には正直、驚きが隠せなかった。
この映画を見ていると、数年前にアメリカのワシントンD.Cを訪れたときに行ったアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館での展示を思い出した。アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館では、ナチスによるユダヤ人虐殺に関する資料が展示されているのだが、展示内容を、なんとなくフラッシュバックさせるかのようなシーンが、映画にはあった。
1930年代に、サーミ人に向けられたその眼差しが、いかに差別的であるかこの映画でよくわかる。スウェーデン人とは別のものとして区別されたサーミ人をスウェーデン人がいかに見世物としてとらえられているかわかる描写もあり、心苦しかった。本来は、差別するほどの違いはなかったはずだろうに…。
今でこそ、露骨な差別はないかもしれないが、現代北欧社会でのサーミ人の立ち位置が気になった。
自由に憧れサーミのアイデンティティーを捨てた姉とサーミとして生きる妹
年老いたエレ・マリャが、妹の葬式のため、久しぶりに故郷へ戻り、幼少期を思い出すところから物語が始まります。サーミとして人生を全うした妹やその親族たちにとって、サーミのアイデンティティーを捨てたエレ・マリャは、よく思えない存在であることが冒頭で描写されています。アイデンティティーをめぐり、同じ民族同士での対立が起こってしまっています。
劇中のエレ・マリャは、ただ自由を手にしたかっただけの普通の少女ように見えました。でも、自由を手にするために強くあるだけではなく、彼女は自身のアイデンティティーを捨てて生きていかないといけなかった。そうしなければならなかったのは、どこかの誰かが勝手に引いた人種の区別とその上に成り立つ差別の影響が大きかったと思う。同じ民族同士の対立…歴史が生んだ負の遺産でしかないと感じた。最後のシーン、本当にジーンときた。
まとめ
北欧の北部に住む少数先住民サーミ人を描いた「サーミの血」。もともと、知り合いに薦められていたので、やっと見ることができてよかったです。
先住民への迫害...さまざまな国で起こった負の歴史の1つだが、こうした負の歴史ときちんと向き合うことができる映画が「サーミの血」であると感じました。
日本にもアイヌといった少数民族が住んでいるが、私たちはその存在を無視しているというか十分な関心を持っていないと思います。アイヌ民族にかかわらず、多くのマイノリティーコミュニティーに対しても同じように無関心だったり、場合によっては差別的なまなざしを向けることさえあるかもしれないですね。
こうした歴史の向き合い方は、反省しなければならない点が多くあるのではないかなと北欧の映画を見て感じた次第です。
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